こんにちは。

 

 

アドラー心理学と

 

訪問リハビリテーションを

 

勉強中の理学療法士

山田 鷹です。

 

 

 

 

ここ二ヶ月ほど、

 

「システム」とか「共同体」とか、

 

そういった個人を取り巻く

『環境要因』について

 

あれこれと考えを巡らせるモードが

全開になっていたので、

 

しばらくブログからは

 

ポジティブ・タイムアウトをしていました。

 

 

 

 

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そんな風に、

 

『環境要因』に対してのアンテナが

敏感になっていた時に、

 

 

ある二つの番組を

 

絶妙なタイミングで引き寄せてしまったので、

 

ちょっとまとめてみようと思います。

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

(引用元が、それぞれラジオとテレビなので、

以下、引用部には細かい表現の違いがあると思います。)

 

 

 

障害者差別解消法について、

 

ラジオ「荻上チキ・Session-22」の番組冒頭では

 

このように紹介されました。

 

障害者が健常者と同じように暮らせる

社会を実現するため、

 

不当な差別を禁止し、

 

障害のある人からの要望には、

 

負担が重すぎない範囲で

合理的配慮が求められる

「障害者差別解消法」が、

 

今月(2016年4月)から

施行されました。

 

“合理的配慮” について、

 

国や地方自治体など、

公的機関には法的に義務付け、

 

民間企業に対しては、

一律の対応が難しいとして、

努力義務になりましたが、

 

民間企業の場合でも、

 

政府から報告を求められても従わなかったり、

虚偽の報告を行なった場合には、

 

過料・罰金が科されることになっています。

 

 

また、同番組内で

 

東京大学先端科学技術研究センター准教授の

近藤武夫さんは、

 

以下のような主旨のことを言っています。

 

“合理的配慮” とは、

 

「みんな平等に同じ取り扱い」ではなく、

 

「個別に異なる取り扱い」を、

 

いわゆる合理的な範囲内で認めましょう、

ということ。

 

 

そうするすることで、

イコールアクセス とか

 

イコールオポチュニティ などと

言われるような、

 

等しい機会を保証しましょう とか、

 

障害があろうと無かろうと、

 

人間だったら誰でも

そこに参加できるようにしましょうよ、

 

というもの。

 

“合理的配慮” は、

 

どこかの部分では

柔軟な調整をしなくては

出来ないところがあるので、

 

「こういった選択肢はどうか?

(←建設的対話)」

 

というものをやってみるしかない面もある。

 

 

そして、作家で、難病当事者の大野更紗さんは、

 

この法律

障害者差別解消法)は、

 

「ニーズの発言者は本人だ」と

 

はっきり規定している。

 

したがって、やはり本人が

 

「自分にはこういうニーズがある」

ということを、

 

勇気を持って機関側に伝えていくことも

 

大事だと思う。

 

当事者が機関にニーズを伝える方法は

それぞれ色々あると思うが、

 

こういう社会制度

障害者差別解消法)が

背景にあることを一緒に伝えながら、

 

自分のニーズを伝えていくことは

できると思う。

 

と、このような主旨の発言をされています。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

>一方で、テレビドラマ

「ゆとりですがなにか」の中では、

 

算数に学習障害を抱える

一人の男の子を受け持っている

小学校教諭が、

 

「ゆとり教育」を引き合いに出しつつ、

 

他の生徒も交えて、

 

その子の学習機会について

話し合いをする場面がありました。

 

(今回は、「ゆとり教育」自体に対しての

議論が目的ではないので、ここでは触れません。

この場面を通して「ゆとり教育」についての

意見をまとめているゆとり第一世代の方もいるようです。

 

 

これこそまさに、

 

この学級における

“合理的配慮” を実施するための

 

“建設的対話” が行なわれている

場面なんだと思いました。

 

 

学校や教師の側が

選択肢を押し付けるのではなくて、

 

選択肢を考える機会を設け、

 

その選択肢について

関係者が意見を伝えることのできる

場をつくること。

 

 

明日から

(算数の学習障害を抱える)

ダイゴくんは、

 

算数の授業だけ

学習室で授業を受けます。

 

かわいそうじゃないぞ~、

いいか、聞いて~。

 

これは、ダイゴを

置いてきぼりにするためでも、

 

ダイゴがモリくん

(ダイゴの授業での電卓使用を

提案した子)に

 

勝つためでもない。

 

 

みんなと一緒に勉強して、

 

みんなと一緒に社会に出るために

必要な、特別な措置です。

 

ダイゴが

電卓を使っていい時代が

そのうち来ると思う。

 

それが本当の平等

 

本当のゆとり教育だと、

先生は思います。

 

 

はい。

 

この話は、おしまい。

 

 

今回のドラマの場合、

 

最終的には、

 

「生徒全員が将来、

 

(『いま現在の社会』において)

社会人として生活していくために

 

必要な措置」

 

として、

 

 

関係者全員が “納得” できる答えである、

 

「算数の学習障害を抱える子だけ、

個別に授業を行う」

 

という結論に落ち着きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校教諭の言葉にもありましたが、

 

 

「どうなれば “納得” できるのか」

 

については、

 

 

常に変化していく『いま現在の社会』を

ふまえて変化していくのが当然だし、

 

そういう意味においては、

まったく同じものは一つもありません。

 

 

ある一つの “納得解” を決定する過程に

参加できると思っている者に断りなく

 

 

過去の判断結果を、

 

そのまま丸ごと当てはめようと

決心した瞬間から、

(無意識にそう決心していることも多く、それが

往々にしてトラブルの種となるのでしょうが)

 

 

“納得解” を導き出す道筋から

外れていってしまう。

 

 

 

 

それぞれが

 

「どのような相手」

に対して

 

“建設的対話” の扉を

開いているのか?

 

 

それを示していったり、

 

尋ねられたら示す。

 

 

もしくは、

尋ねられたことをきっかけに考えていく。

 

 

 

そういうことができたら

いいんだろうな~

 

 

と、

 

 

そんなことを考える

 

いい機会になりました。

 

 

 

 

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(今回の法施行をきっかけに)

「“合理的配慮” を

してあげるように学びましょう」

 

というだけではなくて、

 

「そもそもの今までの障害の枠組みや、

それから関わり方の関係性そのもの」

 

を見直していく機会にして欲しい、

 

という障害当事者からの要望が多数ある。

 

と、ラジオリスナーからの意見を

 

荻上チキさんが総括していたように、

 

 

 

あくまでも、

 

 

システム運用のための足場をつくる

 

ことが目的の “枠組み” で

あったはずのものが、

 

 

いつの間にか自分たちの首を絞め、

 

足かせになってしまうことのないように、

 

 

 

 

物事を捉える “枠組み” と、

 

 

その枠組みを

あくまでも “思考の軸” とした

“運用現場における対応”を、

 

少し別のものとして

頭の中に置いておけるように

 

気をつけていきたい。

 

 

春と梅雨の間の、夏のような日が続いている今の時期を、

最近「はゆ」と呼ぶことに決めました宇宙人くんアチイ